凶悪犯罪者は人として不良品
ちょっと気になるこのニュース
松本は2日放送のフジテレビ系「ワイドナショー」で、川崎殺傷事件に言及。加害者について「人間が生まれてくる中で、どうしても不良品っていうのは何万個に1個、絶対に(生まれる)。これはしょうがないと思う。それを何十万個、何百万個に1つくらいに減らすことはできるのかな、みんなの努力で。こういう人たちは居ますから、絶対数。もう、その人達同士でやり合ってほしい」と自身の考えを述べていた。
この発言はネット上で物議をかもしたが、松本は番組放送後に更新したツイッターで「凶悪犯罪者は人として不良品」とあらためて発言した。
松本の発言に、映画評論家の町山智浩氏はツイッターで「共演者が『それはナチスの優生主義につながる考えですよ』と諭してあげればいいのに…」と指摘。作家の盛田隆二氏は「ワイドナショーって収録番組ですよね。こんな暴言垂れ流すフジテレビは『差別発言を擁護します』と宣言したも同然」だとした
私の意見も松本さんに概ね賛成だ。
だが『不良品』の捉え方としては
『不良品』=『不必要』
とは思わない。
なぜかと言うと『不良品』と言うのは
「必要悪」だから。
『不良品』がある事で『正規品』が成り立っているとも考えられるからだ。
いくら綺麗事を言っても、結局世の中は、人間は、
「比較しなければ生きていけない」から。
悪い奴が存在する事によって、初めて良い人が存在できる。
悪い奴を排除して良い人だらけになったら、その「良い人」の中でまた「悪い奴」を探してしまうと思う。
また工業製品なども生産過程に必ず数パーセントの『不良品』が出る事は周知の事実だ。
一定の『不良品』が存在する事で『正規品』のクオリティが保たれると言う事だ。
そう考えると『不良品』と言うののは、案外ネガティブな表現ではないのではないだろうか?
・『正規品』の比較対象として
・「正規品』の生産を安定させるため
少なくともこの2点だけでも、立派に世の中に貢献している。
なぜこんな捻くれた考え方になってしまうかと言うと、自分自身も『不良品』の類に入る人間だから。
もちろん凶悪犯罪を起こした事はない。
しかし、世の中や社会に大きく貢献した事もないし、必要ともされていない。
だから自分の能力や努力ではなく、世界を形成している「大数」に貢献していると言う屁理屈で自分の存在価値を見出す行為は
「今日も死なずに生きていく」
唯一の理由になるから。